大平才勝城
碑 その1 碑 その2 説明板
藤原秀郷の末裔の發知氏が足利義詮(室町幕府二代将軍)の時代に、この地に城館を築きました。 以降、その子孫は松平清康に仕えますが、その後帰農してこの地の住人となりました。 碑文に百雉城と記されていますが、百雉とは百丈(303m)四方の広さを意味し、大城であったことを物語っています。 現在は碑のみ存在し、遺構は残っていません。
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