津田台場
碑
説明板
火薬庫の障壁 その1
火薬庫の障壁 その2
火薬庫の障壁 その3
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ペリー来航に伴う徳川幕府からの命で、文久3年(1863年)に徳島藩主蜂須賀斉裕によって築かれました。
大砲は全部で30門(台場上に20門、左右の松原にそれぞれ5門)が配置され、津田川口の守りに備えました。
現在は津田砲台場公園となっており、台丘の盛り土と火薬庫の障壁が残っています。