都於郡城


説明板


伊東満所生誕の地


中馬場跡


本丸入口


本丸 その1


本丸跡説明板 その1


本丸跡説明板 その2


伊東マンショ像


本丸 その2


本丸南曲輪 その1


本丸土塁 その1


本丸土塁 その2


本丸から奥の城を望む


本丸から二の丸を望む


本丸/二の丸間の空堀 その1


伊東満所誕生之地


本丸南曲輪 その2


本丸/二の丸間の空堀 その2


二の丸 その1


二の丸土塁 その1


二の丸 その2


二の丸/三の丸間の空堀 その1


二の丸から三の丸を望む


二の丸から西の城を望む


二の丸土塁 その2


二の丸土塁 その3


二の丸から本丸を望む


二の丸/三の丸間の空堀 その2


西の城/三の丸間の空堀


曲輪D


三の丸


三の丸から西の城を望む


三の丸から二の丸を望む


三の丸からの眺望


西の城


西の城から三の丸を望む


西の城から二の丸を望む


曲輪C


曲輪B


本丸/奥の城間の空堀 その1


本丸/奥の城間の空堀 その2


奥の城


奥の城土塁


奥の城から本丸を望む


犬の馬場跡


一乗院跡

通称 浮船城
城郭構造 平山城
築城主 伊東祐持
築城年 建武4年(1337年)
撮影日 2024/3/27


建武2年(1335年)、伊東祐持が足利尊氏に従った勲功で、都於郡300町を賜り伊豆から下向します。
これが都於郡城の始まりです。
都於郡城は本丸、二の丸、三の丸、西の城、奥の城の5つの曲輪から成ります。
各曲輪は大規模な空堀で区切られ、曲輪縁辺部には土塁が構築されています。
伊東氏は南北朝時代から240年都於郡城を本城として日向一円を掌握していました。
しかし、天正5年(1577年)に都於郡城落城とともに豊後に落ち延びていきました。
現在は各曲輪が残り、見事な空堀、土塁などを見ることができます。


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