穆佐城
説明板
標柱
参道
穆佐稲荷神社
穆佐護国神社
島津忠国の誕生杉説明板
二の丸(坪の城)
島津忠国の誕生杉
曲輪群A地区中央大堀切
切岸
曲輪4
曲輪4から見た曲輪1、2、3
曲輪2
曲輪2から見た曲輪4
曲輪3
曲輪3から見た曲輪2
曲輪1からの眺望
曲輪1
空堀I
B地区曲輪
主郭 その1
主郭土塁
主郭 その2
空堀II
|
穆佐城が歴史の舞台に登場するのは南北朝時代です。
穆佐城は足利尊氏の所領になると、畠山直顕が城主となり勢力を広げていきました。
南北朝時代以降は伊東氏と島津氏との争いとなります。
応永10年(1403年)に島津久豊(8代目当主)が入城しますが、伊東氏との戦に敗れ、以降伊東氏の城となりました。
10代目当主伊東義祐の頃には伊東四十八城の一つとなります。
天正5年(1577年)に伊東義祐が豊後国に落ち延びると再度島津氏の城となりました。
その後、慶長20年(1615年)の一国一城令により廃城となりました。
現在は整備が進み、見事な曲輪、堀切を見ることができます。