勝目城
標柱
標柱説明
説明板
本丸
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勝目城は山田城とも呼ばれていた中世山城で、山田(現在の勝目地域)の中心でした。
室町時代、山田は島津国久の子、忠綱が治めていました。
四代目忠宗は戦国末期に島津義久の命で殺害され一時断絶、その後本田氏が地頭になりました。
その後、一国一城令により廃城となりました。
現在は本丸跡に供養塔などが建立されています。