知覧城


説明板


標柱


空堀


本丸/東の栫間の空堀


今城


今城土塁


弓場城


桝形


本丸桝形虎口


本丸城址碑


本丸


本丸土塁


蔵之城虎口


蔵之城説明板


蔵之城


蔵之城土塁


蔵之城建物跡

通称 ---
城郭構造 丘城
築城主 不明
築城年 不明
撮影日 2024/10/1



建久8年(1197年)薩摩国図田帳によると、薩摩平氏一族の平忠益が郡司、島津氏初代忠久が地頭としてこの地を治めていました。
南北朝時代になるとその子孫の平忠世、島津久直は没落、文和2年(1353年)に佐多氏の初代忠光の領地になりました。
室町時代初めは今給黎久俊が治めていましたが、応永27年(1420年)に島津久豊の軍門に下ります。
久豊はこの地を佐多親久に与えます。
その後天正19年(1591年)、佐多氏の家臣が豊臣秀吉の命に背き領地を没収されます。
10年後に知覧に復帰しますが、知覧城は火災により消失しました。
現在はシラス台地を利用した見事な堀や曲輪を見ることができます。


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