児山城


城址碑


東側の外側の堀


説明板


外側の土塁と堀


本丸南東隅


本丸東空堀


本丸南空堀


説明板(本丸)


南側入り口


本丸


本丸南土塁


本丸東土塁


本丸西土塁


本丸北土塁


本丸北空堀


本丸北西隅


本丸北東隅


本丸西空堀


華蔵寺


城址碑(華蔵寺)

通称 ---
城郭構造 平城
築城主 児山朝定
築城年 建武年間(1334年〜1338年)
撮影日 2022/10/04



児山城は鎌倉時代後期に宇都宮頼綱の四男多功宗朝が、その次男の朝定にこの地を分封し、築城したと言われています。
永禄元年(1558年)に上杉謙信が多功城を攻めた際に児山兼朝が討死し、児山城は廃城となりました。
遺構は、本丸の堀と土塁がほぼ完全な状態で残っています。
東側に堀、南側に土塁など、周囲に断片的に遺構が残されており、城の範囲が広かったことが想像できます。


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