児山城
城址碑
東側の外側の堀
説明板
外側の土塁と堀
本丸南東隅
本丸東空堀
本丸南空堀
説明板(本丸)
南側入り口
本丸
本丸南土塁
本丸東土塁
本丸西土塁
本丸北土塁
本丸北空堀
本丸北西隅
本丸北東隅
本丸西空堀
華蔵寺
城址碑(華蔵寺)
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児山城は鎌倉時代後期に宇都宮頼綱の四男多功宗朝が、その次男の朝定にこの地を分封し、築城したと言われています。
永禄元年(1558年)に上杉謙信が多功城を攻めた際に児山兼朝が討死し、児山城は廃城となりました。
遺構は、本丸の堀と土塁がほぼ完全な状態で残っています。
東側に堀、南側に土塁など、周囲に断片的に遺構が残されており、城の範囲が広かったことが想像できます。