長崎城
称念寺 その1
新田義貞位牌の碑
説明板 その1
説明板 その2
称念寺 その2
称念寺 その3
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正応3年(1290年)に時宗二代目真教上人に称念坊が長崎道場を寄進し称念寺と呼ばれるようになりました。
長崎城はこの寺と一体となり、南北朝時代の南朝方の拠点となりました。
新田義貞が灯明寺畷で戦死した時、遺体が称念寺に運び込まれ、手厚く葬られました。
現在称念寺には新田義貞墓所があります。