村岡山城


説明板


城址碑


説明板と城址碑


主郭への虎口


主郭への土橋


堀1


主郭


主郭の櫓台


主郭の土塁


主郭の説明板


主郭からの眺望


主郭周りの堀 その1


主郭周りの堀 その2


郭2


郭2の櫓台


郭1


郭2東側の土塁


郭3


郭3南東隅の虎口


郭3の土塁


郭4


畝状空堀群 その1


堀2


畝状空堀群 その2


郭2から見た主郭


郭5と郭6の間の土橋


郭5と郭6の間の堀切 その1


郭6


郭5と郭6の間の堀切 その2


郭6と郭7の間の堀切


郭7


郭7と郭8の間の堀切と土橋


郭7と郭8の間の土橋


郭8


郭8からの眺望

通称 ---
城郭構造 山城
築城主 七山家一向一揆
築城年 天正2年(1574年)
撮影日 2016/08/08


平泉寺と対立していた七山家一向一揆によって築かれたと言われています。
朝倉景鏡を大将とした平泉寺が村岡山城を攻撃しましたが、一揆衆は立てこもり勝利しました。
勝利につながった村岡山は勝山と名付けられ、現在の勝山の地名につながっています。
現在は主郭の櫓台や堀などが残っており、見応えのある城跡となっています。


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