七尾城


説明板 その1


説明板 その2


説明板 その3


太鼓ノ段 その1


千畳敷


太鼓ノ段 その2


厩の段


馬釣井


二の段


北下の堀切


二の段の土塁


本丸


本丸土塁


本丸南の曲輪


眺望


大手門(医光寺)

通称 益田城
城郭構造 山城
築城主 益田兼高
築城年 建久4年(1193年)
撮影日 2026/03/26


七尾城は益田氏の居城で本丸跡は標高118mに位置します。
全長600m以上のY字状の尾根を要塞化した山城で、大小40あまりの曲輪からなり、土塁/畝状空堀を備えています。
源平合戦で武功をたてた益田兼高が石見の押領使に任じられ、建久4年(1193年)に七尾城を築城しました。
戦国時代末に益田氏19代藤兼は、毛利氏の攻撃に備えて七尾城を改修、自身も居住していました。
関ヶ原の戦いの後に長門国須佐に移り、七尾城は廃城となりました。
現在は曲輪、土塁などを見ることができ、大手門は医光寺に移築されています。


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